こんにちは、めい(@mei_workingmama)です。
5日後に出産を控え、その前にどうしても自分の中で向き合いたかったこと。
それが流産してお空に帰った赤ちゃんのこと。
新しい命が誕生する前に、思い切って書きたいと思います。
Contents
私の妊娠・出産歴
まず私の今までの妊娠・出産歴です。
2014年12月 長男を出産。
2017年9月 妊娠発覚
2017年11月 稽留流産→掻爬手術
2018年6月妊娠→2019年1月出産予定
長男妊娠時はつわりは酷かったものの、妊娠後期まで大きなトラブルはなく順調なマタニティライフを送っていました。
妊娠後期で妊娠高血圧症候群を発症。経過観察を経て39週で緊急帝王切開で出産。
息子は新生児黄疸があり、2日間入院しましたが、その後は特に問題なく退院しました。
妊娠高血圧症候群を発症し、先生からは『母子ともに危険』とは言われていたものの、発症したのが妊娠後期だったため、帝王切開で無事に産まれてきました。
妊娠して健康な赤ちゃんが産まれてくるのは当たり前ではない。そう言われていることは知ってましたが、どこかで他人ごとのように思っていたと思います。
単身赴任と仕事と妊活と。
2人目との年の差は2〜3歳差が圧倒的に多いと思います。
私もできるなら2〜3歳差で2人目が欲しいなと漠然と思っていました。
ですが夫の転勤で始まった単身赴任生活に仕事をしながらのワンオペ育児。
その中で離れた距離にいる夫と妊活をすることは現実的には難しく、まずは私の異動希望実現が先決でした。
結果的に異動は叶い、再び家族3人での生活がスタート。
ですが入所できた保育園は通勤ラッシュの電車にのせるか、自転車で25分かけて通うかのどちらかの選択肢しかない家から遠い保育園でした。
結局真冬の寒空の中、片道25分自転車で送迎を行うことに。
その状態で仮に妊娠できたとしても、息子の保育園送迎は難しく、妊活する時期をずらすしか選択肢はありませんでした。
やっと息子の保育園が転園できた時、すでに息子は2歳3ヶ月。そこから妊活をはじめることとなりました。
妊娠と化学流産。不妊治療スタートへ
自己タイミングで妊活をスタート。
早く2人目が欲しくて仕方がなかったので、毎回フライングをしていました。
数か月後、陽性反応が出ましたが2日後陽性反応は消えていました。
いわゆる化学流産です。
化学流産は次の妊娠への影響もないと言われていますが、とにかく早く2人目が欲しかったので、念のためクリニックで受診しました。
受診結果に問題はなく、引き続き妊活してOKと医師から承諾を得ました。
受診した病院は隣駅にある病院でしたが、不妊治療で有名な病院でした。
希望があればタイミング見れますよと言われ、迷わずお願いしました。
日頃から生理の周期がバラバラで基礎体温をはかり、排卵検査薬は使っていたものの、イマイチ排卵日を特定できておらず、タイミングを外していることも多かったからです。
ここから私の不妊治療がはじまりました。
再び妊娠、そして稽留流産。
仕事、育児をしながらのクリニック通いは楽ではありませんでした。
仕事帰りに息子をピックアップして夕食の用意、お風呂、寝かせつけをするだけで大変なのに、隣駅のクリニックまで通うとなると時間も体力も必要です。
それでもどうしても2人目が欲しかった。
ですが幸運なことに、不妊治療一周期目で再度妊娠検査薬に陽性反応が出ました。
前回化学流産をしていたため、ドキドキしながら初診を待ちました。
妊娠検査薬ははっきり陽性を示しており、これで2人目を授かったと思っていました。
妊活中は旅行の予約のタイミングが難しいけれど、妊娠して赤ちゃんが産まれるともっと行きにくいと思い、ずいぶん前から石垣島への旅行を予約していました。
妊娠がわかったのは、旅行出発の少し前。
まだつわりもなかったし、夫も私も休暇をとっていたのでできるなら行きたいと考えてました。
5w0d 初診へ
旅行出発の前にと少し早めにクリニックを受診。
ちょっと早いけど、胎嚢は見えても良い時期だろうとウキウキして受診しましたが、見えたのは黒い点だけ。
先生からは子宮外妊娠の可能性も否定できないから、旅行は控えた方が良いと言われました。
夫と家族会議の結果、旅行は泣く泣くキャンセルすることに。
数日おきの受診
その後、胎嚢が大きくなるか数日おきに受診することになりました。
毎回違う先生でしたが、受診する度に期待する私と裏腹にどの先生も難しい顔をして、『数日後、再度診ましょう』と。
思えば先生方は結構早い段階で今回の妊娠が難しいことはわかっていらっしゃったんだと思います。
でもわずかな望みをかけて、決定的になるまで何度も診察してくださったのかなと。
8w1d 流産確定
結局5回の診察の末、8w1dに流産確定だと告げられました。
流産が確定した時の事
先生から厳しいかもしれないとは何度も言われてはいたけれど、どうしても期待したくて検索魔になっていました。
毎日毎日携帯で検索をして、都合の良い書き込みばかりを読んで、ちょっとした鬱状態になっていたと思います。
先生は言葉を選んで流産を告げてくれましたが、涙が止まりませんでした。
近年の晩婚化と妊娠時の高齢化のため、流産の確率は高くなっており、30代女性だと3〜4人に1人が流産を経験するそうです。
先生からは『あなたが悪いんじゃない。誰にでも起こることだから自分を責めないで。また絶対に妊娠できます』と言われました。
今から考えると、先生は最大限に励ましてくれて言葉をかけてくださったんだと思いますが、当時の私は何のなぐさめにもならないと先生の言葉は全く耳に入ってきませんでした。
流産の確立については先生から伺って、初めて知りました。
事実周囲に流産を経験している人は多数いることも後から知りましたが、当時はショックが大きすぎてなかなか現実を受け入れられませんでした。
流産が確定すると、大出血の可能性もあるため早期に手術をすすめられ、5日後に掻爬手術を行いました。
お空に帰った赤ちゃんへ
流産が確定してからあっという間にお空に帰ってしまった赤ちゃん。
性別も、どんなお顔をしていたのかも全くわからないままお腹の中からいなくなってしまいました。
何もしてあげられなかったけれど、大事な大事な生命でした。
妊娠すること。そして無事に赤ちゃんが産まれてくることは本当に奇跡だ。
この言葉の重みを流産をしたことで強く強く実感しました。
お空に帰ってしまった赤ちゃんのこと。
流産して辛くて毎日泣いたこと。
私は一生忘れません。
お空に帰ってしまった赤ちゃんへ
お兄ちゃんと新しく産まれてくる赤ちゃんは私が絶対に幸せにするよ。
お空で見守っていてね。